あるべきユーザインタフェースのすがた

今かかわっているプロジェクトで、新しい機能のユーザインタフェースの設計が山場を迎えている。
頭の中で機能とインタフェースの筋道を整理し、それを仕様書に落として、チーム内でレビューをするという工程を繰り返している。


自分はデュアルディスプレイ環境で仕事をしているが、一方にはFreeMindマインドマップフリーソフト)を全面に立ち上げ、もう一方には仕様書のフォーマットを開いて、仕様書を作るようにしている。
アクションや各ファンクションをFreeMind内に配置しながら、全体の流れを整理する。
一日の時間の中でもFreeMindと睨めっこしている時間が結構占めていると思う。
ある程度できたところで、紙一枚に収まるように縮小印刷し、通勤時もチェックしたりしている。


最近は仕様に詰まると、設定画面を設けて、ユーザに選択する機会を与えてしまう。
かなり危険な兆候だ。
そもそも設定画面は最低限必要だが、設定数が増えれば増えるほど、ユーザの使い勝手は下がっていく。
自由度が上がるという意見もあるだろうが、それはある程度そのアプリケーションを使えるようになってからの話し。
アプリケーションを最初に触ったときの取っつきやすさは大事だ。
だから設定画面を設けてもデフォルト値には細心の注意を払うのだが、一発で決まらなかったり、リリース直前で仕様変更することは少なくない。


自分は設定画面が嫌いだ。あるべきインタフェースに辿り着く前に、設定画面に頼って妥協してしまうことが多いし、またそのようなアプリケーションも世の中に溢れている。
自分の考えるインタフェースのゴールとは、設定画面がほとんどないインタフェースデザインだ。
ユーザが選択する必要がないほど考え抜かれたインタフェース。
このアプリケーションはこう使って欲しいという強い意志と自信。
今の自分にはこのどちらも不足している。
それはきっと、アプリケーションのコンセプトが自分の中で定まっていないからだろう。


ユーザインタフェースはコンセプトそのもの。
行き詰まったら、一旦コンセプトに立ち戻ることが必要だ。

ユーザビリティエンジニアリング原論―ユーザーのためのインタフェースデザイン